| 東海道EF58の終焉(1) |
| 国鉄旧型電機最大輌数を誇ったEF58。その現役最後の姿を写真で綴ることによってゴハチの魅力を皆様に理解していただこうというコーナーです。 83年暮から84年3月にかけて実質EF58(ゴハチ)の東海道・山陽筋からの撤退劇がありました。 東海道・山陽線での最後のゴハチの活躍は急行荷物列車。荷物列車は旧式の客車を使用していたためその暖房供給には機関車から送られる蒸気が必要でした。この蒸気発生装置をもったゴハチは、その存在により急行荷物列車の運用に就いていましたが、信越本線での貨物需要が無くなり電気暖房装置をもったEF62が余剰となることになったことをきっかけに見直しが行われました。蒸気暖房にしか対応しないもっとも旧い車両を廃車にし電機暖房対応客車だけで急行荷物列車を編成、そして牽引にはゴハチより少しでも新しいEF62を使うこととなりました。 84年4月から山口県の下関にEF62を集中配備しそこを拠点に東海道・山陽筋の急行荷物列車の運用を行うこととなりました。84年1月まで、荷レは浜松・米原・宮原(予備として広島)に配置されていたゴハチによって運用され、また臨時列車用に東京にもゴハチは配置されていました。 これら30輌以上のゴハチのうち臨時列車用として東京・宮原にそれぞれ3輌づつを残し(東京(品川)と宮原には暖房供給が必要な旧型客車を使用した団臨用お座敷客車があったため)、それ以外は廃車もしくはEF62運用開始までの繋ぎとして84年3末廃車前提で下関集中配備という運命となりました。 下関集中配置は廃車前提の運用。しかも蒸気発生装置を使う過酷な冬の時期とも重なったため3月を待たずに運用を離脱する機関車も現われ壮絶なものでした。 この83年暮から84年に撮ったゴハチ東海道最期の活躍です。同じ形式の機関車でありながら一機一機特徴があります。84年1月1日時点での配属区ごとにまとめていきます。ほぼ同時期に同じような場所で撮ったゴハチのうち一枚でも撮ったものは全機掲載しましたので、見るに値しない写真、同じような写真、ばかりです。ご了承下さい。(かつてGGVKが撮った写真があるもののみ掲載。写真の他にも数輌存在していたはずです) ■■■ 東 京 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 東京区には唯一残った大窓機61号機が存在していました。他の一般機は正面窓こそHゴム支持化されていましたが、元デッキ型、原形可動スノウプラウ付機などそれなりに個性はありました。また側フィルタ原形機が多数存在しました。 ●12号機(東京→廃車) ![]() 臨時「踊り子」(東戸塚付近84/1) 末期東海道で活躍した最若番機。12号機(1〜31号機)のデビュー当時の姿はデッキ式でしたが、その後、蒸気暖房装置(SG)を搭載した35号機以降同様の流線型ボディに換装されました(同時にSGも搭載)。 末期の12号機の姿は、黒H(黒色Hゴム)支持になってしまった前面窓で一般j的な人気を下げていますがそれ以外の形態は非常に興味深いものがあります。前面下部のステップ未装着、窓下手摺未装着、側面乗務員ドア後方昇降ステップ切り欠きなし、などは流線型ボディのオリジナル形態でEF58終焉のときまでこの形態を保持した個体が残っていたのは奇跡ともいえます。 また元デッキ型の名残として、スノウプラウ取りつけ台座を持たず前輪軸剥き出しの状態であったことも特徴です。 ●61号機(現存) ![]() 臨時「踊り子」の先頭に立つロイヤルエンジン(東戸塚付近84/1) 国鉄史上最初にして最後の生まれながらにしてお召し列車(天皇が公式行事で乗る列車)牽引機として誕生した機関車がこのEF5861号機です(蒸気機関車等の場合は製造後、調子の良い号機をお召し機指定にしていたようです)。日立製作所で製造中の61号機を昭和天皇自身が視察に行ったとも言われています。国鉄電気機関車の中で最も美しい機関車であるといってもいいと思います。 他のゴハチと異なる点は多々ありあすが、まず正面の飾り帯がステンレス製(通常は真鍮にクロームめっき)であることと、その飾り帯が側面にまで回る点、そして他のゴハチは誕生時はぶどう色2号(とよばれる所謂茶色)から青15号・クリーム1号という塗装に変遷していったのに対し61号機は一貫して一般機には使われない特殊な茶系の塗装(ただしたまに微妙に色が変わる??)が最大の特徴です。またキズを発見しやすくするためと美観のため下回りの要所要所は鋳鉄のまま未塗装です。普段は錆止めにグリスが塗られこれに埃がつくので薄汚れた黒にしか見えませんが、一端お召し整備に入ると下回りは美しく磨き出され非常に美しいものとなります。 そして改造は最小限に押さえられ続けてきたため、原形大窓をはじめ数多くの原形個所を留めていることも美しさの理由のひとつです。 JR東日本に現存し最近では外国王室関係訪日の折りに天皇が来賓とともに乗る招待お召し列車の牽引機としても時折使用されているようです。 ●68号機(東京→下関→廃車) ![]() 臨時「踊り子」(東戸塚付近84/1) 生粋の東京機68号機です。前面黒Hゴム改造されていますが、側フィルターオリジナル、パンタはPS14型を残していました。新造時から廃車まで生涯東京機関区で過ごせた…はずだったのですが廃車直前、最後の運用のため下関集中配置に移った宮原の45・100号機の不調のため急遽下関に移り最期の1ヶ月のみを生まれ育った東京区以外で過ごすこととなった機関車でした。 ●88号機(東京→廃車) ![]() 長大編成の12系団臨を牽く88号機(保土ヶ谷−東戸塚) 東京区にありながら、つらら切り(庇)とスノウプラウ(雪かき器)を備えていた88号機です。このスノウプラウは、同区124号機と同様のオリジナルのもので雪国のゴハチが備えていた小ぶりものと比べるとかなり大きくごついです。因みに可動式でした。ツララ切りとスノウプラウを備えた88号機は東京区きってのいかつい顔をしていました。 ●124号機(東京→廃車) ![]() 東京区が担当した臨時「踊り子」はゴハチ最期の特急仕業(保土ヶ谷−東戸塚) 東京区で88号機とともに原形可動式スノウプラウを常備していた一両です。ツララきりがあるのとないのとではかなり印象が違います。 ●129号機(東京→下関→廃車) ![]() 荷レ荷33レを牽く下関時代の129号機(84/2) 東京区では特徴のなかった129号機です。走行距離が200万キロ代と少なかったこともあり東京区から当初唯一下関転属をしたゴハチでしたが、後に宮原機の穴埋めで転属してきた68号機と合流しました。129号機は下関時代に不調になるなど、かなりぎりぎりな状態で最後の二ヶ月を送っていたようです。 ●148号機(東京→廃車) ![]() サロンエクスプレス東京を牽く148号機(保土ヶ谷−東戸塚) 白Hゴム支持の東京機148。非常に地味な存在で、黙々と団体臨時列車の仕業に就いていました。 ■■■ 浜 松 ■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■ 末期の浜松区のゴハチは前面黒H、側フィルタピロニック改造を受けたものばかりでバリエーションに欠け、当時他区のゴハチが一機一機特徴があったことにくらべるとやや魅力に欠けました。かなり以前から黒Hの標準型ばかりで面白みに欠けた浜松区でしたが、それでもかつては、トップナンバー1号機、変形台車の5号機、そして元お召し予備機60号機(お召し予備指定を解かれ、Hゴム・ピロニックフィルター化されながらも最期まで、茶色塗装・ステンレス帯を守り通しました)などそれなりに魅力ある号機を揃えていました。 ●93号機(浜松→東京→廃車) ![]() 東京転属後臨時「踊り子」を牽く元浜松93号機(保土ヶ谷−東戸塚84/3) この93号機は84年2・3月のゴハチ大量廃車や下関集中配備の混乱の中、寮機160とともに浜松から東京に逃れ命からがら延命した一輌です。 ●94号機(浜松→廃車) ![]() スロ81お座敷客車を牽引する94号機 荷レとともにこのような暖房供給を必要とする旧型客車を使用した臨時列車の冬場の牽引も当時のゴハチにとって残された使命のひとつでした。安全弁等から逃がされるSGのスチームはゴハチ牽引列車の冬場の風物詩でした。 ●142号機(浜松→下関→廃車) ![]() 荷33レを牽く下関時代の142号機(保土ヶ谷−東戸塚) ●155号機(浜松→下関→廃車) ![]() 荷レを牽く浜松155号機(関ヶ原付近83/11) 浜松の何の変哲もない浜松の黒Hですが…一応155なんで…。 ●157号機(現存) ![]() 荷33レを牽く浜松時代の157号機(東戸塚付近84/1) この157号機も浜松の標準的な黒Hゴム機です。浜松から下関に移りそのまま廃車の予定が奇跡的に生き残りJR東海に現存します。 ●158号機(浜松→下関→廃車) ![]() 荷33レを牽く158号機(保土ヶ谷−東戸塚) この写真の機関車次位の客車と、142号機の写真の機関車次位の客車を比べてください。同じ荷33レ(荷物33列車…運用上の列車を特定する列車番号です)を撮ったものです。下関集中配備前の158のものは電機暖房装置非対応の客車を使ってますが、下関集中配備後の142の写真時にはEF62牽引に備え編成の組替えが行われ電機暖房装置対応客車のみで編成されている様子がわかると思います。 ●159号機(浜松→下関→廃車) ![]() 荷33レを牽く159号機(保土ヶ谷−東戸塚) ●160号機(浜松→東京→廃車) ![]() 品川のスロ81(通称シナザ)を牽く東京転属後の160(保土ヶ谷−東戸塚84/3) 93号機とともに浜松から東京に逃れた160号機です。過酷な浜松区の運用に当たっていた両機はともに、非常にくたびれた外観で、比較的軽仕業でヤレの少なかった従来の東京機とは比べのもになりませんでした。 ●161号機(浜松→下関→廃車) ![]() 荷33レを牽く161号機(保土ヶ谷−東戸塚) ●164号機((浜松→下関→廃車)) ![]() 荷33レを牽き東海道客線を行く164号機(東戸塚付近84/1) 浜松の何の変哲もない浜松の黒Hですが…一応164なんで…。 敢えて特徴を挙げるとすれば、ヘッドマーク取り付けステーが無いことでしょうか(161・166・167・169も同様)。また160番台あたりだと正面窓は更新改造によるHゴム化ではなく新製時からHゴムだったようです。 ●166号機(浜松→下関→廃車) ![]() 荷33レを牽く166号機(保土ヶ谷−東戸塚) ●167号機(浜松→下関→廃車) ![]() 荷33レを牽く167号機(保土ヶ谷−東戸塚) ●169号機(浜松→下関→廃車) ![]() 荷33レを牽く169号機(保土ヶ谷−東戸塚) と、ひたすら同じ場所で同じ列車を撮ってます。いかに浜松のゴハチに特徴がなく退屈なものであったことがご理解頂けたでしょうか?…なので、今更157が残っているといわれても懐かしさはあっても撮りたいという気にはなりませんね(←罰当たり?) |